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多米の自然

※■色部分は、市制施行100周年記念「校区のあゆみ 多米」より抜粋
■色部分は、「東陽地区コミュニティ マップ」より抜粋

目  次
  1. 自然歩道  
  2. 葦毛湿原  
  3. 岩崎広場  
  4. 赤岩山   
  5. 内山川   
  6. 朝倉川  
  7. 530運動発祥の地  
  1. 自然歩道
     多米校区は自然の豊かな地で、石巻山多米県立自然公園に指定されている。風致地区として岩崎緑地や赤岩緑地が指定されている。豊橋自然歩道は市民手作りの散策路。多米・普門寺・神石山・岩崎の各支線から稜線上の本線へと続く。多米峠とその1km南の太田峠には環状列石がある。530運動はここから発祥した。
    • 多米自然歩道 多米峠直下のトンネル西入り口より多米峠にいたる700mは昔の多米峠越えの山道であり、最も短いコースである。
       植林されたヒノキ林を少し登ると、広くなだらかな多米峠に出る。眼下に浜名湖を、晴天時は遠く富士山が見えることがある。
    • 普門寺・神石山自然歩道 手洗から雲谷町の普門寺まで、普門寺峠・神石山を越える2ルートがある。手洗から普門寺峠への山道は頼朝の通った鎌倉街道でもある。
       峠を下ると普門寺の本堂に着く。観音堂前に見事な天然記念物の大杉がある。
    • 葦毛湿原・岩崎自然歩道 岩崎のバス停から葦毛湿原を通り、一息峠を経て尾根上のNHK中継所までの自然歩道である。
       中継所からは三河湾から太平洋までが一望でき、弓張山系南端で屈指の展望地として、絶好のハイキングコースである。
    • 赤岩・赤岩寺自然歩道 校区の北を西に向かって延びる尾根に平成15年に開かれた自然歩道で、最も新しいコースである。
       豊橋自然歩道の本線から北山・花柄山・赤岩山・乗小路峠を経て高山学園まで続いている。赤岩寺境内からの登り口もある。
     この4つの自然歩道を地図上で確かめてみると、多米校区をぐるりと取り巻いていて、自分たちの住んでいる街をどこからでも眺めることができる。
     三方を山で囲まれた多米の地ならではの自然からの贈り物である。
     これらの自然歩道の開通に尽力された豊橋自然歩道推進協議会の方々に感謝するとともに、校区民そろってこの鳥瞰を楽しみたい。
    • 神石山 標高325m。昭和44年まで航空灯台が光っていた。
    • 船形山 標高276m。戦国期の船形山城址が残る。1533年今川と松平が衝突した船形山の合戦で普門寺は全山消失。今川義元が再建した。
    自然歩道マップ

  2. 葦毛湿原
     岩崎町にある葦毛湿原は、『東海の尾瀬』とも呼ばれ全国的にも有名であるが、この湿原の存在を世に知らしめたのは恒川敏雄・野澤東三郎両氏の尽力によるものであり。
     昭和40年6月、植物学者の恒川氏の案内で野澤氏は初めて葦毛湿原に入った。
     トキソウ、カキラン、ノハナショウブの可憐な花。ハッチョウトンボの蛍光塗料のような紅。さわやかなせせらぎ。バス道路から少し入っただけなのにこの騒音のなさ。傾斜面の湿原。原生林にはカザグルマ、ハンカイソウが華やかに咲き、美しい野鳥の声が…。
     新幹線からわずか5kmしか離れていない。
     こんなところは日本唯一ではなかろうか。
     どうしても保護して、愛好者に見てもらいたい。そのためには土地を心ない人に買われない先に入手したい。
     自然の美しさに感激した野澤氏は、湿原の一部を環境保護のために購入した。
     昭和42年、豊橋山岳会の夏目久夫氏らの協力で枕木遊歩道の布設がはじまり、葦毛湿原は市民の前に姿をあらわした。

  3. 岩崎広場 ※この項は、「校区のあゆみ 多米」にはありません。
     岩崎広場は、平成20年4月、自然風致公園としてオープンした里山の散策と庭園観賞を楽しむことの出来る公園。
     里山には、外周路、散策路があり、森林浴を楽しむことが出来る。庭園には、ツバキ、ヤマザクラ等の花木やスイセン等の草花が植えられており、四季折々の風景を楽しむことが出来る。
     この広場は、岩崎町の南端部にあり、東部土木維持事務所の南側の山裾に位置している。駐車場は、高山広場側に有り、ウオーキングとして徒歩で訪れることも可能。

  4. 赤岩山
     愛宕権現がある山腹の巨岩の赤色が名の由来。統治が海底だった太古、ラジオラリア虫が密集し、珪盤石になったもの。山頂一帯は、市内城址中最大の20m余の堀切が残る戦国期の赤岩山城址。
  5. 内山川
     岩崎に源を発し、古くは境川といい、川より北が八名郡、南が渥美郡に属していた。多米小・東陽中の活動や校区民の熱意のおかげで貴重な蛍の生息地となっている。「蛍を見る会」も行われ、5月下旬には花菖蒲と蛍の乱舞が川を彩る。
  6. 朝倉川
     滝ノ谷池を発し、蝉川となって吉田城下で豊川と合流する延長8kmの1級河川。古くは滝川と称した。堤沿いの桜並木は「市民が好きな散歩道11選」のひとつで、桜と菜の花が土手を覆い尽くす春の光景は心おどる美しさ。
  7. 530運動発祥の地
     昭和44年には豊橋自然歩道推進協議会が発足し、葦毛湿原にとどまらず、弓張山系一体の自然に親しむ環境づくりが始まった。
     昭和47年10月、校内話し方大会で豊岡中学2年生の三浦裕見子さんは「葦毛は語る」と題して、葦毛湿原の保護を呼びかけた。これが生徒会活動への契機となり、昭和48年、葦毛湿原岩崎自然歩道パトロール隊が結成され毎週土曜日午後に湿原保護活動を開始した。
     「葦毛の自然」「葦毛の野鳥」などのガイドブックも発行し、豊岡中学校は昭和55年に全国野鳥保護のつどいで環境庁長官賞受賞。昭和56年には葦毛湿原保護活動で文部大臣奨励賞の栄誉に輝いた。
     一方で、中学生たちの保護活動も転機を迎えた。湿原にゴミかごを整備し、みんなでゴミを拾って入れる。それがいっぱいになって外にこぼれている、一人ひとりのゴミは少ないが集めてみれば大変な量になる。
     『自分のゴミは自分で持ち帰りましょう』この中学生たちの呼びかけで、豊橋の町に、ゴミゼロ運動が始まった。5月30日を活動の一つの目安として530(ゴミゼロ)運動と呼ぶことになった。
     昭和50年(1975)に始まった530運動は豊橋市を発祥の地として、その後全国的に普及して、自然環境美化に成果を上げてきた。
     『世界遺産登録に失敗した富士山』というニュースが話題になったが、その原因の一つに「ゴミがいっぱい」と聞いてショックを受けた。人が捨てればばゴミ、捨てなければゴミゼロ…、530運動の内容がいつのまにか変容して、落ちている他人の捨てたゴミを拾う日になったのは情けないことだと思う。
     「自分のゴミは自分で持ち帰りましょう」、もう一度、あの中学生たちの言葉を思い出して、530運動の原点にもどりたい。

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