多米ウォーキングマップ
日吉神社
- 由緒
(豊橋百科事典より抜粋)
(手洗)日吉神社は、神亀4(727)年行基が大山咋命(おおやまくいのみこと)を祀ったと伝える。保元3(1158)年再建、その後天文17(1548)年今川義元が再興したという。なお、手洗の地名は、建久元(1190)年源頼朝が京に上る際、手洗井戸の清水で手を洗った所と伝えられる。
(わたしたちの多米より抜粋)
七世紀のころ、行基菩薩がこの地に来たとき、すがたのよい船形山をながめ、ここにお寺を建てようと山へ入ろうとしました。しかし、鬼神がいてどうしても入れなかったため、清水を汲んで身体を清め、鬼神をふうじこめてしまいました。それを山林の守り神として、まつったのがはじまりとされています。その後、戦のために神殿や神宝など焼かれてしまい、吉田城主など多くの武将の手によって作りかえられています。
今の神社は、一九二九年(昭和四年)に改築され、神社建築としてはすばらしいものだそうです。
- 航空灯台
(多米郷土誌より抜粋)
当町と浜名郡湖西町及当市雲の谷町との三角形の分水嶺にあり眺望絶佳で春秋遠足生徒其の他観光客で賑わう。
※現在既に灯台はありません。神石山の山頂にその基礎の跡が残っています。
- 古墳
拝殿に向かって右手には隣接して古墳があります。円墳だと思います。横穴式の石室が残っており中を覗くことができます。古墳には石柱が立っており「上代墳墓」と書いてあります。この古墳についてはいつ頃のものとか誰のものとか、資料がなく全くわかりません。
- 地名の由来「手洗」
(わたしたちの多米より抜粋)
岩崎の東の方の山すそに、手洗という集落があります。船形山を下ってきた頼朝が、この集落の井戸で手を洗ったというので、この地を手洗とよぶようになったといわれています。
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多米校区自治会ホームページ
※引用している文献は下記の通りです。
- 豊橋百科事典…発行:豊橋市文化市民部文化課 平成18年12月1日発行
- 校区のあゆみ「多米」…発行:豊橋市総代会 平成18年12月25日発行
- 多米郷土誌…発行:多米郷土誌編纂委員会 昭和42年11月1日発行
- わたしたちの多米…発行:豊橋市立多米小学校 昭和61年3月15日発行
- 多米徳合長者考(豊橋美術博物館研究紀要16号 東郷公司)…発行:豊橋市美術博物館 平成21年3月発行
- 岩崎ものがたり…発行:夏目修二 令和3年12月1日発行